1983年 四六判 ソフトカバー P222 カバーヤケ、少汚れ、端僅イタミ 小口ヤケ 地濡れシミ
“……誰でも映画が作れることが即ち“自由な”映像表現の実現を意味するわけではない。むしろ逆に、今日8ミリで消費されている映像は、かつての「山・ 川・地蔵」 映画とはまた別の“不自由な”紋切型に支配されているように思える。
自己満足をこえた表現とは、ある種の限界に立ち向かう徹底性によって、作者と観客とをともに解放していく過程であろう。その限界とは、メディアの限界でもあろうし、制度の限界でもあろうし、自己や他者の限界でもあろう。
…〈略〉…
『フィルム・ワークショップ』は、こうした問題意識から、映画メディアを再定義しようとするさまざまな発想や思考を提示する実用書であり理論書である。このワークショップの講師と なる九人の(あるいは対談者をふくめて十一人の)シネアストは、…〈略〉…独自なメディアとの関わりを通して映画の見方を変えるような作品を作 っている人たちだし、また、この体系や歴史性を意図せぬ配列のなかで編者は今日主要と思 われる映像的思考 ―日記映画からコンピュータ・グラフィクスまで、構造映画から劇映画の再考まで― をいわばシネマテーク的に並置したつもりである。
…〈略〉…
したがって、この小さな本は、すでにどこかで見た映画、適度によく出来た映画に近づく入門書ではなく、むしろそこから遠のきながらフィルムと新たに初々しく親密な関係をうちたて 直すための〈反―入門〉の書ともいえる。”(本書冒頭「イントロダクション」より)
目次:
イントロダクション
第1章 映画とギヴ&テイクしよう(スタン・ブラッケイジ)
{動く絵の原理と映写機/フィルムの接合について/光とカメラの冒険}
第2章 映画をいかに企画するか(ジャン=リュック・ゴダール 訳:奥村昭夫)
{クロード・ミレール リュック・ベローとの対話
第3章 日常を撮りつづける(ジョナス・メカス)
{日記映画『リトアニアへの旅の追憶』をめぐって
第4章 カメラなしでアニメを作る方法(ノーマン・マクラレン)
{低予算と実験精神}
第5章 カメラは何を創造するか(マヤ・デレン)
第6章 映像と音楽の構造(ポール・シャリッツ)
{Hearing: Seeing 聞くことと見ること}
第7章 コンピュータ・グラフィクスの誕生(ジョン・ホイットニー)
{アニメーションの機械学}
第8章 映画それ自体を問う映画(ビルギット・ハイン 訳:森下明彦)
{フィルムについてのフィルム ―もう一つの映画史}
第9章 映画はエクリチュールだ(ロベール・ブレッソン)
{シネマトグラフについてのノート}