2011年 A5判 P278 帯背少ヤケ カバー背ヤケ、端僅ヤケ
“マルチチュードの恐れ
いまなお謎めいた存在でありつづけているきわめて難解な十七世紀オランダの哲学者の、ついには、《同時代人たちが争っていた諸種の問い―信仰と理性、絶対主義と社会契約、等々―を徹底的に転位させる》に至ったその政治=哲学を、マルクスとの《相対的な交換性》をも視野に入れながら、ネグリ以降の新たな視点で読み解く。”(帯文)
“《民主制もまた「絶対的」でありうる、と断言するだけでは、スピノザは満足できないのだ。それに加えて、スピノザがすべての同時代人に抗して主張するのは、一定の条件を満たすならば、民主制こそが「完全に絶対的な」統治形態である、ということだ。
しかし同時に彼は自問する。
アムステルダムやハーグの大ブルジョワジーからなる共和国が、なぜ、右の意味での「絶対的」ではなかったのか、なぜ、そうなることさえできそうになかったのか、と。
こうしてスピノザは、ホップズが、そしてマキアヴェッリさえもが提起することのできなかった問いへ、『神学・政治論』が一面的な仕方でしか扱えなかった問いへと導かれてゆく。
すなわち、〈マルチチュード〉(群集=多数者)そのものの運動のただなかにおいて、国家の力の基礎にあたる民衆的土台を問うこと、これである。
未聞の問いだ、少なくとも理論的分析の対象としては。
この問いは、スピノザをして、自分が「政治家たち」自身よりもずっと「政治的」であるということを否応なく証明させることになるだろう……。》……本文より”(カバー袖紹介文)
目次:
序言
校訂版、翻訳、研究道具
【第一章 スピノザの党派】
〈自由党派〉
宗教か神学か
予定と自由意志 ―宗教的イデオロギー間の抗争
諸教会、諸宗派、諸党派 ―オランダ共和国の危機
【第二章 『神学・政治論』 ―民主制のマニフェスト】
最高権力の権利と思考する自由
「もっとも自然的な」統治形態 ―民主制
歴史哲学?
神権制の名残
【第三章 『政治論』 ―国家の科学】
一六七二年以降 ―新たな問題設定
『政治論』のプラン
権利と力能
「政治体」
国家の精神 ―決定
【第四章 『エティカ』 ―政治的人間学】
社会性
服従とは何か?
『エティカ』とコミュニケーション
【第五章 政治とコミュニケーション】
力能と自由
「欲望とは人間の本質そのものである」
共同体のアポリアと認識の問い
補論 政治的なるもの、政治 ―ルソーからマルクスへ、マルクスからスピノザへ
訳註
年譜
書誌
マルチチュードの力能と恐れ(水嶋一憲)
訳者あとがき