平成9年初版 A5判 P367 函時代シミ 本体元パラ折れ跡大
目次:
口絵―彦根屏風・寛永頃の三味線
序文
【第一編 三味線の美学】
一 日本人と三味線
{日本の代表楽器-儒学者の三味線観-国学者の三味線観-三味線と階級性-三味線と民族性}
二 川柳と狂歌に現れた三味線
{狂歌に現れた三味線-川柳に現れた三味線}
三 原武太夫の「三絃の教訓歌」
{『奈良柴』より-原武太夫のこと-『奈良柴』のこと-教訓歌と略解}
四 三絃伝来考
{渡来の年代-渡来の経路-最初の取扱者-渡来当初の楽器-結論}
五 三絃の日本的完成
{上駒とサワリ-胴と皮(革)-撥}
六 三味線のサワリについて
{日本音楽におけるサワリの諸概念-現在のサワリの作成とその音響学的説明-初期の三絃とサワリ-上駒が「一」の絃を外すに至った年代-明治時代のサワリの新工夫-サワリの価値(効果)}
七 三味線はこうして作られる
{(はしがき)-棹の話-用材について-乾燥について-棹の取り方-棹の仕上げ-サワリをつける-磨きと艶出し-胴木の話-用材について-木取り-綾杉のこと-膠づけ-銅皮(革)の話-皮の処理法-皮(革)張り-上駒とサワリ}
【第二編 芸大邦楽科誕生秘話】
前がき {田中耕太郎と宮城道雄の会談-東京音楽学校時代の邦楽科廃止論-東京音楽学校と東京美術学校の校長及びメーソン、フェノローサ比較論-東音に「邦楽教育調査委員会」-乗杉校長・田中正平博士-立山漸之進明治天皇に直訴(邦楽教育)-家元制度と東京音楽学校邦楽科}
芸大邦楽科問題の胎動 {社会心理的影響-音楽学校教官の座談会-小宮校長の芸大案公表}
邦楽科設置運動開始 {邦楽科追放を報道する新聞-小宮校長と東京-邦楽科卒業生・在校生の対決の場}
文部省・国会(衆・参両院)へ陳情 {論戦外野席でも展開(兼常清佐対渥美清太郎-田辺尚雄対兼常清佐)-一般文化人(柳沢健・秋田雨雀・宮沢俊義)も登場}
「邦楽科設置運動実行委員会」を組織/相も変わらぬ「原始音楽説」/宮沢俊義氏の戯曲化した「邦楽科問題」/日本の英字新聞と米国の邦字新聞/邦楽科設置運動の危機/小宮校長意見を発表(『世界』)/小宮論文への反論/小宮校長バスから転落負傷/新聞紙上に邦楽科問題多載/邦楽家教官の総辞職(昭和二十三年十二月十日)/文相官邸で邦楽科教官の実演/邦楽科論争大結の巻/邦楽の発展性―兼常博士への公開状/邦楽科排除案に国会は反対/「東京芸大邦楽科」設置問題の年表/実行委員会が公表した「邦楽の扱い方」案/CIE(民間情報局)への陳情/小宮校長辞職―「私はなぜ辞職したか」/邦楽科設置決定と実行委員会の解散/邦楽科設立準備委員会の発足/吉川英史の辞職/泥縄式(?)の邦楽科準備/吉川の失業と転職(NHK解説者に)
〔付記〕
(1)座談会「芸大邦楽科設置運動の回顧
(2)「芸大邦楽科設置秘話」