2012年 四六判 P240
“この本は、ウィトゲンシュタインの「青色本』の後半部を解読し論評したものである。
《略》
解読といっても、著者ウィトゲンシュタインの真意を探ってそれを解明するといったものでは―それも含まれてはいるが―ない。むしろ、ウィトゲンシュタインがここで言っていることをもとにして、哲学的に考えられるさまざまな可能性をなおもさらに縦横無尽に考え尽くしてみようというのが本書の狙いであり、これによって哲学書の読み方の一つの見本を示すというのが当初の願いであった。…”(本書『はじめに』より)
目次:
はじめに
1 哲学における達成とは
2 私的体験が素材となって実在が構成されていると言いたい誘惑
3 語は対立項なしには使われえないか
4 ただ私自身の体験だけが実在すると言いたい誘惑
5 だが他人も「まったく同じこと」が言える
6 世界の素材としてのエーテル状の私的体験
7 ウィトゲンシュタイン的独我論
8 ウィトゲンシュタイン的独我論の永井的拡張 (付・コウモリだったらどんなかな)
9 私と世界をつなぐすべての出発点
10 「自分の感覚を記述するのに回り道をせざるをえない」
11 野田総理の目のまわりの黒あざの絵は実物の黒あざと照合できる
12 「このゲームにゴールはない」
13 私と他人が身体の部分を共有した場合
14 二冊の本は同じ色であることができない
15 私が痛いとき私はそれを知っている
16 私は彼の痛みを文法的に感じることができない
17 文法に対する不満?
18 「無意識的な考え」という表現
19 日常言語に対する不満vs.言語そのものからの余剰
20 自痛み-他痛みvs.実痛み-虚痛み
21 「この紙はあこくない」
22 「私の頭を彼の頭の中に突き刺して……」
23 独我論と記憶 ―偶丸奇森の思考実験
24 幾何学的な目と幾何学的な記憶
25 「つねに」と「いつであれ」、そして独今論との類比
26 用は足りる」が「理解できてはならない」
27 「白のキングに紙の冠をかぶせる」
28 「歩きながら周りを見まわすときには」
29 私の客体用法と主体用法
30 個々の身体に口がついていることの意義
31 痛みを感じている人は口から泣き声を出している人か?
32 表出説を使用説につなぐ
33 感覚与件は存在するか
34 独我論的指示の構造
35 「文字盤を針に固定して一緒に回るようにしてしまった」
36 二つの思考が拮抗している
37 「私はここにいる」という形而上学的驚き
38 今だ!
39 身体は痛みを感じうるか
40 心という観念の起源