1964年1月号 B5判 P118 全体に経年によるヤケ、角少折れ跡 表紙汚れ、少イタミ
目次:
【特集 日本なるビジョンと映画作家】
ひとりの生のなかに(新藤兼人)
わたしの心の中の日本(深作欣二)
“日本人”は絶えず変化する(羽仁進)
明後日の作家への手紙(3) わが心境と自己批判(大島渚)
【’63 日本映画総批判 および映画の中の日本人】
日本映画の中の日本人《男性篇》 勝新太郎・植木等・佐藤允・市川雷蔵等、男臭い二枚面を論破する(倉橋由美子)
軍隊の残虐と映画の残虐趣味 「陸軍残酷物語」=残酷な軍隊よりも動員されたときの猛威を(五味川純平)
『おかしな奴』というおかしな歌笑映画 出世主義者、平和的反戦論者は描かれても歌笑は描かれていない(関根弘)
流浪三昧にさそう映画というもの 「五番町の夕霧」の佐久間良子はブラッセル美術館のレンブラント老婆像の汗の美しさ 「新夫婦善哉」の森繁は汗とあぶらと垢でぬらっとした不思議な存在(金子光晴)
市川雷蔵における栄光と悲惨 『眠狂四郎殺法帖』の位置はどこにあるか(栗田勇)
どれもこれも日本的 「太平洋ひとりぼっち」は裕次郎よりヨットが主役のはず 「彼女と彼」の私有財産論争、麻雀大会のカップがそれとは(長谷川四郎)
日本脱出映画論 「何か面白いことはないか」「素晴らしい悪女」「太平洋ひとりぼっち」 何と日本脱出映画が多いことよ。そのなかでは「マタンゴ」が秀逸(佐藤忠男)
海軍は復活した タイトルからエンドマークまで、私はこれが三十八年度につくられた意義を求めたが……(高橋治)
「素晴らしい悪女」のゴキブリ男を非難する 大庭葉介とはどんなダメな奴か(寺山修司)
「母」における歌の契機 新藤兼人の死角を衝く(田村孟)
実説『おかしな奴』の三遊亭歌笑論 ……終りに加える。彼の命の代金は五万円だった。(加太こうじ)
太宰映画ととびついてはみたが 「真白き富士の嶺」の少女は原作どおり誠実清純であった方が……(山岸外史)
伝記映画の詐術をゆるすべきか 「末は博士か大臣か」の菊池先生を知り過ぎている。私には映画は一知半解の観客が娯めばいいのか……(佐藤碧子)
『続・男の紋章』に文句をつける こんなわけのわからぬ主人公はいない。ヤクザはかげのあるものだがイバッてる。「女性化時代を排す」の論者は論難する(村松剛)
見ないでも判っちゃう ’63日本映画 『悪名』『悪のシリーズ』『忍びの者』からスーダラまで、世は悪くなりましたナ。(白坂依志夫)
【ニッポン昆虫記/特集批評】
にっぽん昆虫記・批判(石堂淑朗)
大惨事と“ニッポン昆虫記”(戸井田道三)
人は昆虫になりうるか(佐野美津男)
一見に価する『鎖陰』(佐藤重臣)
僕の野良犬東西紀行 ソビエトの巻〈2〉(浦山桐郎)
フェリーニあるいは象徴の森 『8 1/2』は如何に作られたか(奥山翠)
キャロル・リードの敗北 『逃げる男』の背景と人間(篠田正浩)
アメリカの寂しさ 『けっさくなエディ』『ハッド』にみる(飯島耕一)
シナリオ『鬼火』(脚本・監督:ルイ・マル)
映画祭・中ソ論争(斎藤竜鳳)
ソビエト映画『娘たち』について(大橋恭彦)
民主社会党の映画の見方(編集:保津俊一)
溝口健二の人と芸術〈最終回〉(依田義賢)
ぼくのシネ・スケッチ 〈逃げる男〉〈シャレード〉〈ソドムとゴモラ〉(やなせ・たかし)