1966年 菊判 P655+挿図目録P3 帯破れ、折れ跡 函背ヤケ 本体ビニールカバースレ、少ヤケ 小口および見返しヤケ、時代シミ
“求めうる限りの資料、綿密な考証、新劇史の決定版
坪内逍遙の文芸協会、左団次・小山内薫の自由劇場以来、多くの人が新潮のために情熱をもやし、再起転向をくり返しながら、近代劇確立を目ざして努力して来た。一片の公的な援助もなく、たえざる貧乏にあえいできた歴史を、幾多の苦難を越えて奮闘してきた人々の姿を織りまぜて描く貴重な労作”(帯文)
目次:
序
自由劇場
スタニラフスキーとダルクロオズ
坪内逍遙の朗読術
文芸協会の設立
芸術座と島村抱月
抱月と御風の離反
美術劇場と沢田正二郎
芸術座の巡業
近代劇協会と上山草人
大正中期の群小劇団
伊庭孝について
居直り、寝返り、出稼ぎ時代
沢正の邪劇時代
新劇埋没時代
東京俳優養成所/神林季三のこと/新劇俳優の転向時代/芸術座の巡業システム
芸術倶楽部と遺産七万円
島村抱月の死
抱月の遺産
楠山正雄査問会と須磨子の自殺
須磨子の遺書と遺産
遺産管理と抱月の戸籍問題
島村家と芸術座のその後
早稲田系の分流
浅草の新劇
東京歌劇座試演会/浅草オペラの先駆者たち
「トスキナア」と浅草ルネッサンス
浅草新劇の開拓者たち
浅草新劇の草分け
木村駒子と曾我廼家五九郎の出会い/浅草新劇とデカダンス/木村時子と笹本甲午
笹本甲午の国立劇場請願運動
横浜ゲーテ座と外人劇団
ゲーテ座の由来/日本バンドマン一座/高木徳子の死/獏与太平映画監督に転向/オペラから築地小劇場を志した人々
新劇雑誌「とりで」と「とりで試演会」
村田実の舞台監督即演劇美術家論
踏路社と演出者の生れるまで
踏路社の事前運動
踏路社の演技術
G・V・ローシーと青山杉作の演技術
映画芸術協会と踏路社
第二次踏路社について
赤坂ローヤル館とローシー・オペラ
映画の近代化と新劇指導者の悲劇
京都エラン・ヴィタール小劇場
本文挿図目録