1995年 四六判 ソフトカバー P293 帯少汚れ 天・小口少時代シミ 謹呈札付(汚れ)
“なぜ、人は「神隠し」にあい、魅せられ、惹かれるのか!
人は、ふと物に憑かれ、心を狂わせるように、漂泊や放浪、「遁走」や「徘徊」へと駆り立てられる。
人が、ふと、「神隠し」にあい、「異界」への思いを抱いて、旅立って行く。
「民俗精神医学」の視座から照射する、「神隠し」の世界とは……”(帯文)
“…治療も施設も十分でなかった頃の精神障害者たちは、「座敷牢」のような私宅監置のほかにどんな処遇をうけていたのだろうか、放置されたまま、彷徨っていたのではなかろうか、世間の人は、それをどのように受け止めていたのだろうか…〈略〉…
自分なりの作業を進めていく中で、精神症状の一つに、あるとき、突然、目的もなく、家庭や職場を離れて、「徘徊」したり、旅行したりする「遁走」があるので、その延長として漂泊や放浪という生活を送った人たちがいたのではないか、放置されていたために漂泊や放浪するしかなかった人たちがいたのではないか、と思い、漂泊や放浪という観点から心を病んだ人たちの生き方を考えてみることにした。…”(本書巻頭「まえがき」より)
目次:
まえがき
序 なぜ、人は、漂泊し放浪するのか ―人の生きる術として―
【第1部 人の生き方と漂泊】
I 漂泊と病的な旅 ―正常と異常のはざまで―
II 漂泊や放浪の淵源 ―流離《さすら》った人たちの歩みを辿る―
III 「異界」に生きた人たち ―「山男」や「山女」として―
IV 「神隠し」の精神病理 ―家出や「遁走」を繰り返した若い女性―
V 「神隠し」と精神病像 ―「遁走」や「徘徊」、家出や失踪した人たち―
VI 不斗出や流浪した人たち ―心を病み、路上に生きる―
VII 遍路や路地に生きる ―日常を共にした心を病んだ人たち―
VIII 浮浪者や乞食の精神医学 ―「徘徊癖」と精神病像―
【第2部 「民俗精神医学」の視界】
IX 心に反映する風土 ―京都と宇治に見られた「うつ病」と伊勢志摩に見られた「うつ病」―
X 「老人と嫁」の天国 ―「隠居のむら」に見られた精神障害者とその家族―
XI 日本の「ゲール」 その光と影 ―京都・岩倉の「家族看護」と精神障害者たち―
XII 「動物憑依」の精神医学と民俗学 ―「猫憑き」と「蛇憑き」―
XIII 「動物憑依」と民俗精神医学 ―「憑依」に見られる基層文化 ―
結び 一精神科医としての漂泊 ―「臨床の場」に自分らしさを求めて―
あとがき
初出一覧