1991年、89年、87年 A5判 P309、349、286 1、2巻カバー背ヤケ、端少イタミ 2巻小口ヤケ、少汚れ 3巻カバーシミ汚れ、少キズ、端少イタミ、少破れ 1巻のみ帯付
訳:泉涼一、小田淳一、神郡悦子、矢橋透
【第I巻】
“テクスト空間の「めまい」
「現前」と「不在」によって織り成され、無限に揺れ続けるフィギュールの空間とは?―
構造主義革命の嵐の最中に書かれ今なお光彩を放ち続ける構造論的文学批評の金字塔”(帯文)
“ロラン・バルト亡き後、いまやフランス文学記号論の第一人者たる著者が、テーマ論的、構造論的文学批評家としての鮮烈な登場を告げた記念すべき処女評論集。
同一の意味をもつ二つの語、同一の語がもつ二つの意味……、現前する言語活動と不在の言語活動とのあいだに口を開ける、目の眩むようなフィギュールの空間、すなわち《記号の根源的な恣意性の空間》を開示する、表題論文「文彩(フィギュール)」を核に、バロック詩、ボルヘス、ロブ=グリエ等のテクスト空間における宙吊り感覚、めまいの経験を測定し、さらに、充実のあまり現実がみずから消滅してしまうプルーストのエクリチュール、物語を沈黙させ事物の果てしない震えの中で恍惚とするフローベールの語り
などの分析をまとめ合わせ、詩学者=批評家としての資質をあますところなく示す、著者の「批評の原体験」。”(カバー裏紹介文)
目次:
可逆的世界
ナルシス・コンプレックス
「黄金は鉄のもとに落ち」
プルースト、パランプセスト
固定しためまい
マラルメの幸福
空間と言語
羊の群れの中の蛇
文学のユートピア
心理分析的読み
ベルクソン的モンテーニュ
構造主義と文学批評
語と驚異
記号の裏
文彩《フィギュール》
フローベールの沈黙
超喩《イペルボル》
それそのものとしての文学
監訳者あとがき
【第II巻】
“構造主義革命の嵐の中でバルト、トドロフ等と共に、テマティスムから構造主義的批評へ、更に《文学の科学》たる《ポエティック》へと向かった著者の第二論文集
―自らの文学研究を現代の『レオナルド・ダ・ヴィンチ方法序説』たらしめんとする方法論宣言「純粋批評の根拠」。
文学研究を《人と作品》のフェティシズムから解放し、それらの謎そのものとして存在する言語事象を扱った「スタンダール」。
《言語学者》プルーストの理論的成熟を『失われた時』のエクリチュールに追う「プルーストと間接的言語」。
西欧の詩人たち、とりわけマラルメを魅きつけた言語の詩的機能についてのクラテュロス的夢想を探る「昼と夜」。
物語分析にきわめて有効なカテゴリーを提示する「物語の境界」。
―《物語論(ナラトロジー)》及び《詩的言語論》という方向へと向かうこれらの諸論文は、後に『物語のディスクール』と『ミモロジック』において豊かな結実を見ることにたろう。”(カバー裏紹介文)
目次:
純枠批評の根拠
修辞学と教育
文学と空間
物語の境界
真実らしさと動機づけ
昼と夜
詩的言語と言語の詩学
“スタンダール”
あるバロック的物語について
プルーストと間接的言語
監訳者あとがき
【第III巻】
“《ジュネットのいうフィギュールは、言うまてもなく単なる文彩てはない。それは語のレベルから文のレベル、テクストのレベルから物語全体のレベルまで、いたるところに存在する。
それは語のもっとも広い意味における言説の姿形(フィギュール)なのである。
ジュネットが『フィギュール』から『パランプセスト』にいたる著作を通じて探究してゆくのは、記号の根源的な恣意性の空間、シニフィアンとシニフィエのあいだの、無限に深い空間、つまり要するに、テクストの空間なのである》(花輪光)
今や文学記号論の第一人者ともいうべき著者が、文学の一般的法則の探究としての詩学(ポエティック)と個々のテクストの個別性を追究する批評(クリティック)とを峻別し、自らの方法論を確立した《フィギュール》シリーズ総決算の書。
原著刊行時バルトによって「極度の慎み深いよそおいのもとに一種幻想的な力を秘めている」と評された著者の《詩学宣言》ともいうべき四論文に、著者が自らの記号論への道程を語る長篇インタヴューと、翻訳監修者による綿密なジュネット論をも付す。”(カバー裏紹介文)
目次:
批評と詩学
詩学と歴史
限定された修辞学
プルーストにおける換喩
ポエティックの過去と現在(インタヴュー:大浦康介)
ジェラール・ジュネット覚書(解説:花輸光)
監修者あとがき