昭和45年 四六判 P354+索引P17 函ヤケ、汚れ、端イタミ 本体小口少ヤケ、少時代シミ 両見返しヤケ
目次:
はしがき
一 序論
山伏の定義とその宗教的背景/修験道の世俗との関係/山伏研究の宗教学的民俗学的立場
二 原始的な山の信仰
大和朝廷成立期における山の支配/三輪山の信仰/山の神霊と山の祖霊/延喜式に見えた山の神をまつる社/風土記にみえた山の神をまつる社/山の噴火と古代人の観察
三 修験の先駆者
役行者の神秘化/役小角の出自と葛城地方/扶桑略記にみえる小角の伝承/小角の宗教と外来の宗教/奈良平安朝仏教における山林抖撒の流行/吉野金峯山の宗教的発展
四 密教と修験霊場の形成(一)
比叡山の開発と修験道の芽生え/仏名会と灌仏会/比良山抖擻の流行/相応の葛川開発/聖宝と吉野金峯山の密教化/沙門道賢の活躍/金峯山浄土と蔵王権現の解釈/金峯大峯山への入峯者の増加/藤原貴族の金峯山参詣/蔵王権現と習合した山神の諸信仰/中世における金峯山信仰
五 密教と修験霊場の形成(二)
熊野信仰圏の発生/熊野参詣の先駆/王子社の成立と態野教団組織の形成/院政期の熊野参詣/平氏の熊野信仰/那智の補陀落信仰/料撒行脚の流行と諸国霊場の成立/日光山の開発/伊豆箱根の開創
六 武家の抬頭と修験霊場の進出
熊野の政治的進出/加賀白山の登場/愛岩山と天狗/山伏の活動の拡大と羽黒山の登場/後鳥羽院政期の熊野
七 熊野参詣の普及と葛川修験の確立
梁塵秘抄にあらわれた修験霊場と巫女山伏/後白河上皇の熊野詣/古今著聞集にみえた庶民の熊野信仰/西行の山伏修行/吉田経房の熊野詣/後鳥羽院政期の熊野詣/鎌倉後期の熊野参詣/葛川修験の盛行/慈慧慈覚両大師の護符
八 南北朝の内乱と山伏
太平記と修験道との関係/後醍醐天皇の討幕運動と山伏の決起/護良親王と山伏/建武中興前後における山伏の動向/山伏の死霊寄せと時局諷刺/南朝政権と山伏の軍事的活動/公家方怨霊の横行
九 天台の修験と真言の修験
中世仏教の世俗化的方向と修験の流派形成/聖護院門跡の成立と本山派の形成/大悲山峯定寺と常在寺/三宝院門跡と当山派の成立/飯道寺の修験道/羽黒三山の修験道/九州国東地方の修験道
十 修験道の教義とその世俗化
修験信仰の体系化と文献記録/渓嵐拾葉集の教義/大峯の行場と宿所/御師の活動/文芸にあらわれた山伏の諸相
十一 修験道と陰陽道と芸能
山伏特有の芸能/牛頭天王の信仰と修験道/山伏の祭文/神楽系統の山伏芸能/東北地方の山伏神楽/三河花祭と山伏芸能の要素/延年舞と山伏芸能
十二 結び
主要参考文献目録
索引