2012年 四六判 P252+14 帯付 カバー端僅イタミ
“ルネサンスの風景を訪ねて
『エセー』の著者ミシェル・ド・モンテーニュが約一年半をかけてヨーロッパ諸国を実見した記録である『旅日記』の行程をつぶさに追い、ルネサンス期の文化・自然・都市の風景を再構成する。図版多数。”(帯文)
目次:
はじめに
序章 モンテーニュとその時代
1 十六世紀 のフランス
{ルネサンス/宗教改革/宗教戦争}
2 モンテーニュの生涯と作品 ―『エセー』と『旅日記』
{商人から新興貴族へ/モンテーニュの前半生/『エセー』出版と旅と市長職/日記(『旅日記』)の発見と出版}
第一章 旅の始まり ―フランス東部の旅(シャンパーニュ、ロレーヌ)
{自邸からボーモンまで/旅の同行者たち/ボーモンからプロンビエール温泉まで/ジュスト・テレルを訪ねる(モー)/マルドナ氏からスパ温泉の話を聞く(エペルネ)/ストロッツィ元帥の墓を訪ねる(エペルネ)/フランス最初のルネサンス都市(ヴィトリ=ル=フランソワ)/マリ・ジェルマンの話(ヴィトリ=ル=フランソワ)/ジル・ド・トレーヴとコレージュ(バール=ル=デュック)/腎臓結石とユニークな湯治(プロンビエール温泉)/ばらばらの距離単位}
第二章 スイス、ドイツの旅 ―ミュルーズからボルツァーノまで
{フランス語圏からドイツ語圏へ/スイス、ドイツの宗教事情/フェーリクス・プラッターと会う(バーゼル)/バーデンからコンスタンツまで/南ドイツの諸都市を訪れる ―リンダウからアウクスブルクへ/アウクスブルクからバイエルン公領へ/この国の快適な生活/清潔な旅宿とガラス窓/プワルと羽根布団/食事と給仕/奇跡の教会(ゼーフェルト)/チロル風景とモンテーニュ/ドイツ語圏からイタリア語圏}
第三章 イタリアの旅 ―トレントからローマまで
{トレントと司教クレシウス/〈ツーリスト〉モンテーニュ/ヴェローナ、ヴィチェンツァ、パドーヴァ/奇妙な修道士たち/想像がはずれたヴェネツィア/モンテーニュの女性見学/パドーヴァからフェッラーラ、ボローニャへ/フィレンツェは〈美しい〉か?/庭図見物 ―プラトリーノ、カステッロ/シェーナからローマへ}
第四章 ローマ滞在記 ―憧れの都に逗留
{ローマ教皇に調見/カテナの処刑を見物/ローマの遺跡を前にして/ユダヤ教徒の儀式とローマの謝肉祭/モンテーニュ自らが日記を書く/ヴァティカン文庫を見学/オスティア見物/教皇庁の『エセー』検閲/イエズス会の勢力とモンテーニュ/聖週間のローマ/ローマ市民権允許状を授与される/庭園見物 ―ヴィッラ・デステ/モンテーニュとルネサンス美術}
第五章 ロレート参詣と湯治日記 ―ローマからロレートを経てルッカへ
{ロレートの聖堂に詣でる/貸し馬を利用する/アンコーナからルッカまで/デッラ・ヴィッラ温泉に長期滞在/湯治前期 ―飲泉と入浴とシャワー/湯治後期 ―体調不良と市長選出の知らせ/モンテーニュの知恵}
第六章 トスカーナ巡遊、そして旅の終わり ―ルッカからローマ、一路帰国の途に
{カステッロ再訪と聖ヨハネ祭(フィレンツェ)/ピサおよびルッカ滞在/サンタ・クローチェ祭(ルッカ)/奇跡の教会/バニャイアとカプラローラ見物/ローマ到着/ローマからモン・スニ峠へ/道の長さがもどかしい}
第七章 帰国後のモンテーニュ ―『エセー』出版と市長選任をめぐって
{『エセー』第二版における増補/『エセー』第二版における訂正/『エセー』初版刊行の背景/市長職と『エセー』第二版/馬上の人から書斎の人へ}
終章 モンテーニュと〈旅〉
{旅人モンテーニュの特質/モンテーニュと〈水〉/〈旅〉をめぐるエセー}
注
あとがき
図版出典
文献一覧