1990年 四六判 P298 帯およびカバースレ、少キズ、少イタミ 小口僅汚れ
“臨床家、教育者、読者としてのラカンの思想がいま本書を通してその驚くべき実践的真理と有効性を開示する。”(帯文)
目次:
謝辞
凡例
序 これからなされるべき行為
{1 理論と実践のあいだ―わたしとラカンとの邂逅/2 隠喩《メタファ》もしくは本書の主題としてのラカン/3 本書の構造/4 洞察の盲点、またはわれわれの限界を超えて思惟すること}
第一章 読解法の革新、あるいはラカンの未曾有の教え
{1 範例的な読解の教え/2 読解実践の理論/3 読者としてのフロイト/4 フロイト以後}
第二章 ポウの場合 ―精神分析の応用と内包
{1 ポウ=詩的《ポウエティック》効果―文学的症例史/2 精神分析的アプローチの諸例 (ジョウゼフ・ウッド・クルーチ―イデオロギー的心理学または規範的評価のアプローチ/マリー・ボナパルト―臨床心理学的診察のアプローチ/ラカン―テクストそのものを問題化するアプローチ)/3 ポウ詩的《ポウエティック》分析法}
第三章 精神分析はどこがちがうのか、またはフロイトの独創性
{1 分析的対話、もしくは二路的立ち帰り/2 精神分析の独創性/3 第一の分析―さいしょの手順/4 新しい自己再帰様式/5 新しい科学性モデル/6 科学の症状/7 フロイトのコペルニクス的革命/8 楕円形的〔=省略法的〕必要性 }
第四章 精神分析と教育 ―有限なものと無限なものとを教える教育
{1 教育学批判とは何か/2 分析者としての修業訓練/3 知/4 無知/5 交換しえないものの効用/6 対話的学習、または洞察の分析的構造/7 知を有していると信じこまれている主体/8 教育分析―果てしなき課題/9 文学的ジャンルとしての教えること}
第五章 エディプスを超えて ―精神分析の標本物語
I {1 分析上重要な説話《ナラティブ》とは何か/2 エディプス・コンプレックスの複合性《コンプレクシティ》}
II {1 臨床的出来事/2 投映/とり入れ―臨床的介入/3 差異導入の物語/4 分析的発語《パロール》行為/5 分析家の責任、あるいは解釈の機能/6 無意識は他者の言説《ディスクール》である}
III {1 文学的参照項目―エディプス王/2 エディプスを超えて―コロヌスにおけるエディプス/3 コロヌスにおけるフロイト/4 コロヌスにおけるラカン/5 コロヌスにおける精神分析/6 コロヌスを超えて―真理と科学、あるいはまだ語られていないこと}
原注
訳注
訳者あとがき―ラカンの思想への道案内をかねて