昭和40年初版〜48年重版 ページ部分16.8×11.7 各巻函ヤケ、汚れ、角少イタミ 本体背少ヤケ 天地小口および見返しヤケ、汚れ、時代シミ 1.2巻ページ角複数ヶ所折れ跡 その他各巻の詳細は商品説明欄の文面および画像をご参照ください
江戸時代後期の本草学者・菅江真澄の遺した一連の紀行文から、和歌の部分を省略して現代語に訳す。東北地方を中心にさまざまな文化風俗を収集しており、貴重な民俗学的資料となる記録。
“天明3年30歳で故郷三河を出、文政12年秋田で没した菅江真澄は、30余年間に70冊の旅日記を残し、透徹した観察眼を温い人間愛をもって、各地の常民生活を描いた。本書はその現代語抄訳。”(第一巻宣伝文)
【第一巻】昭和40年初版 P245 P32・103・157・179角折れ跡
目次:
まえがき(宮本常一)
菅江真澄というひと(内田武志)
{常冠り/故郷/旅にでる/日記/図絵/随筆/明徳館本/医薬/地誌/墓碑/『伊頭園茶話』から/画像}
菅江真澄遊覧記
{伊那の中路/わがこころ/くめじの橋/秋田のかりかね/小野のふるさと/外が浜風/けふのせば布}
解説(内田武志)
{伊勢の中路/わがこころ/くめじの橋/秋田のかりね/小野のふるさと/外が浜風/けふのせば布/粉本稿}
あとがき
【第二巻】昭和41年初版 P287 函背シミ汚れ P12・13・74・90角折れ跡
目次:
{かすむ駒形/はしわの若葉/岩手の山/外が浜づたひ/えみしのさへき/えぞのてぶり}
解説(内田武志)
{かすむ駒形/はしわの若葉/仙台の旅/岩手の山/外が浜づたひ/松前上陸/えみしのさへき/えぞのてぶり}
あとがき
【第三巻】昭和42年初版 P365
“寛政4年冬10月、4年間の松前生活を終えた菅江真澄は、伊勢の漂民光太夫がロシア船で帰国した噂の中を、南部下北の奥戸に上陸、雪の恐山へ、尾駮の牧へと旅を続け、寛政7年津軽路に入る。岩木山や暗門の滝を訪れた真澄は、のち津軽藩当局から思わぬ嫌疑を受ける。”(帯文)
目次:
{牧の冬枯/奥の浦うら/牧の朝露/おぶちの牧/奥のてぶり/津軽の奥(一)(二)(三)(四)/すみかの山/外浜奇勝(一)(二)/雪のもろ滝/津軽のをち/津軽のつと/外浜奇勝(三)}
解説(内田武志)
{牧の冬枯/牧の朝露/おぶちの牧/奥のてぶり/凡国奇器/すみかの山/外浜奇勝/津軽のをち/津軽のつと/錦の浜}
あとがき(内田武志)
【第四巻】昭和48年6刷 P308
{雪の道奥雪の出羽路/しげき山本/雪の秋田根/すすきの出湯/にえのしがらみ/みかべのよろこび/かすむ月星/おがらの滝/十曲湖/百臼の図/ひなの一ふし}
解説(内田武志)
あとがき(内田武志)
【第五巻】昭和48年6刷 P317
{男鹿の秋風/ひなの遊び/氷魚の村君/男鹿の春風/男鹿の鈴風/男鹿の島風/軒の山吹/勝手の雄弓/月のおろちね}
日記から地誌へ
{駒形日記/高松日記/雪の出羽路雄勝郡}
解説(内田武志)
菅江真澄著書目録(内田武志)
あとがき(内田武志)