1985年 四六判 ソフトカバー P226 カバースレ、少イタミ、背ヤケ 小口からページ端にかけてヤケ
“惨劇の幕はなぜ開かれたのか!! 昭和の初頭、世間を震撼させた残虐な犯罪の数々。その犯罪者たちの極限状態に現れた心理と行動をたどりながら、事件の全貌を解き明かす。”(帯文)
目次:
岩淵熊次郎 “鬼熊”事件
警官1人を含めて3人を殺害、4人に重症を負わせたまま大包囲網のなかを神出鬼没に逃げまわった“鬼熊”こと岩淵熊次郎。しかしこの、人々の耳目を一身に集めた42日間の大事件も、もとはといえば恋の恨みを晴らさんがための彼の純情一途が、その動機だった。
妻木松吉 説教強盗
昭和4年に逮捕されるまで足かけ4年、強盗をしては説教をたれた“説教強盗”こと妻木松吉は、出所後も“防犯講演”なる説教してまわったという。世にいう“半義賊”。しかし彼こそは“盗人の三分の理”もない、実はただの卑劣きわまりない盗賊だったのだ。
後藤モト 原宿のバス屋殺し
死刑か無罪か、単独犯か共犯か。昭和6年、就寝中の主人が惨殺されるという“バス屋殺し”の法廷は、被害者の妻モトと、20も年下の番頭長谷川との情痴、狂乱の舞台と化した。もとより証拠は何もない。が判決はモトのみ死刑、数々の疑惑のなかで彼女は獄に下った。
長谷川市太郎 玉の井バラバラ事件
果たして迷宫入りか。昭和7年、玉の井“お歯黒ドブ”から上がった身元不明のバラバラ死体事件。その解決の糸口となったのは、一巡査の3年前の“美談”。しかし犯人が上がってみると、そこにはまた“お歯黒ドブ”にも似た、人間社会のどす黒いドラマがあった。
車次久一 神戸の首だけ事件
あずかったツボから出てきたのは骨と化した生首。あずけたのは消息不男の長唄師匠。昭和8年、ときあたかも五・一五事件のさなかである。極秘のうちに捜査が開始されたが、そこで出てきたのは、外人貿易商をも含む師匠・車次被災地の異常な倒錯の世界だった。
川俣初太郎 大量もらい児殺し
浅草観音に25人無事達成の“願”をかけ、養育費目当てに次々と重ねた嬰児殺しの数々。奇しくもその26人め直前である。沼和8年、誤認逮捕をきっかけに発覚した川俣初太郎の“もらい子”殺しは、しかし当時の性風俗の乱れをヌキにしては語れない事件でもあった。
阿部定 チン切り事件
待合にたてこもった愛欲の7日間の行きつく果ては殺人、そして男根切断。“エロ・グロ・ナンセンス”と世相史にもその名を残す“阿部定”事件の呪縛は、しかし何よりも定の人生を規定した。浅薄な好奇心で手垢にまみれた“チン切り”事件を、いま改めて掘り起こす。
増淵倉吉 女体えぐりとり事件
昭和7年、名古屋で若 女性の首なし死体が発見された。両の乳房、ヘソ、股間もえぐり取られ、のちに発見された生首は毛髪ごと皮が剥がれている。犯行現場は? 動機は? しかしそれらの謎を残して、犯人は自殺し、果てていた。女の生皮をかぶってである。
中根一郎 巣鴨の若妻殺し
昭和11年、東京・巣鴨で留守居の美人若妻が絞殺された。逮捕されたのは第一発見者の夫。“おたくのダンナ、だいじょうぶ?”なる冗談さえ流行した。しかし供述は否認・自白・否認とめ ぐるしく変転する。果たして有罪か無罪か、事件の謎を秘めて判決も揺れ動く。
あとがき