1995年 14.2×22.0 P342 表紙クスミ、背少ヤケ
1995年 14.2×22.0 P342 表紙クスミ、背少ヤケ
全342ページのうち特集256ページ。
目次:
新・ビデオラマ―もう一つの映画館 第三夜 黄昏の西部劇 トム・グリース監督『ウィル・ペニー』(山田宏一)
耳目抄143 われは子なれば(竹西寛子)
『パサージュ論』マルジナリア3 遊歩者の幻想時空間(鹿島茂)
イデアル・ホームズの設計―夢の家政学11 家事の改善をめざして 両大戦間の日本の家事(柏木博)
詩
劫争い(渋沢孝輔)/山が見える日(田中庸介)
【特集:ピナ・バウシュの世界】
ピナ自身によるピナ
インタビュー 私の作品はうちから外へと発展する(ピナ・バウシュ 聞き手:J・シュミット 訳:畠中裕代)
インタビュー・図版構成 何が人を動かすのか(ピナ・バウシュ 聞き手:J・シュミット 訳:畠中裕代)
ワーク・イン・プログレス
私の「ヴィクター」(市田京美)
旅 ヴッパータル舞踊団稽古日誌(青山眞理子)
私のもとへ、枝、壁 『アリア』『コンタクトホーフ』(R・ホゲ 訳:内村博信)
『ワルツ』の始まり(副島博彦)
エッセイ
ヴッパタール舞踊団の印象(郡司正勝)
ピナの印象(山本昌代)
あのシーン(如月小春)
震源としてのドイツ
表現の処女地? ピナとH・ミュラーとJ・クレスニクの間(谷川道子)
ダンスの解放 N・セルヴォスのP・バウシュ論(畑中裕代)
[ダンス]対ダンス P・バウシュとW・フォーサイス(桜井圭介)
アメリカでの受容
越境するダンス(ビリンジャー 訳:戸谷陽子)
視線の政治学 ピナ・バウシュとワイセツな身体(鴻英良)
振付家/上演/観客
聖なる疲労に向けて(小林康夫)
ピナ・バウシュの日本/日本のピナ・バウシュ(内野儀)
ピナ・バウシュと共に生きること それは、ほんの小さな扉を開くこと 最新作『Ein Trauerspiel』他(織田要)
視線のゆくえ
夜のむこうの夜(宇野邦一)
ピナのあばら骨(鷲田清一)
映画「嘆きの皇太后」と舞台作品(松澤慶信)
受動性のポリティクス ピナ・バウシュの身体(尼ヶ崎彬)
Love Streams(八角聡仁)
タンツテアターとはどこか
ピナ・バウシュ、生存の解剖学(西谷修)
関係の舞台(兼子正勝)
モダン・ダンスの肝っ玉おっ母(シュミット 訳:副島博彦)
ピナ・バウシュ論序説 〈ダンス・オペラ〉再演に際して(木下健一)
インタビュー イサドラからピナまで(シュミット 訳:副島博彦)
徹底討論 ピナ・バウシュの強度(渡辺守章、浅田彰、石光泰夫)
資料
評伝 愚かな身体をめぐって 迂回と逡巡(遠藤暁子)
ヴッパタール舞踊団主要作品(佳手芙美)
ピナ・バウシュ略年譜(編:畠中裕代)
【コラム ワールド・カルチュア・マップ】
イギリス ホロコーストと歴史の意味 A・ミラー「毀れたガラス」(本橋哲也)
フランス 癒しとしてのアフリカ(堀江敏幸)
ドイツ 消えゆくことへの眼差し W・フォーサイスの「クインテット」(副島博彦)
イタリア ’70年代の叙事詩 ナンニ・バレストリーニの『怒れる者たち』(望月紀子)
スペイン ルイス・セルヌーダ(坂田幸子)
中国 『怒りのニンニクの芽』(加藤三由紀)
幻想通信 マルティメディア百科事典(大瀧啓裕)
研究=美術批評の新展開
装飾と芸術 アルベール・オーリエと世紀末(天野知香)
今月の作品
われ発見せり 私はクレズマー(梅津和時)