昭和51年 B6判 P159 帯・函背ヤケ 遊び紙に「著者」の墨書と押印
昭和51年 B6判 P159 帯・函背ヤケ 遊び紙に「著者」の墨書と押印
「寛政文学発生の地 京都の文人墨客の人間模様 秋成と交遊のあった国学者 歌人 俳人 画家など 往時の京都文化人地図をとおして 秋成の心情 人間観を求めた力作 庶民信仰の証となる真如堂の鎌倉地蔵縁起に流れる念仏思想と秋成文学の解明 知られざる多くの示唆に富んだ文芸資料でもある」(帯裏紹介文)
目次:
一 真如堂は女人往生祈願の寺
二 真如堂における地蔵信仰
三 鎌倉地蔵は何時移建されたか {(イ)墓地地蔵堂として移建/(ロ)エッチングに残る真如堂全図}
四 鎌倉地蔵菩薩略縁起 {(イ)悪霊ことごとく成仏して/(ロ)甲良豊後守と鎌倉地蔵/(ハ)鎌倉地蔵と現世利益(霊験あげて数ふべからず)}
五 秋成と疱瘡禍
六 秋成の人となり、雨月物語まで {(イ)木村兼葭堂とその仲間達/(ロ)加藤宇万伎と秋成(胆大小心録とは)}
七 まめ心 あだ心 ついに文人逃避の境に入る
八 秋成の晩年と京都の実態 {(イ)京都の文化伝統と村瀬栲亭/(ロ)秋成から見た京都と大阪/(ハ)田能村竹田、皆川淇園と秋成}
九 秋成の俳諧の生涯は蕪村門下の中で {(イ)与謝蕪村と上田蕪腸(高井几圭、炭太祇と蕪村)/(ロ)蕪村と金福寺芭蕉庵(高井几董と五升庵蝶夢)/(ハ)松村月湲と秋成/(ニ)一乗寺村、浄土寺村のこと(源太騒動と秋成)}
十 京都での文雅のまじわり {(イ)妙法院は寛政文学の温床(真仁法親王、藤島宗順、円山応挙)/(ロ)伴蒿蹊と秋成/(ハ)橋本経亮と秋成(本居宣長、古事記伝献納)}
十一 芦庵研究家中野稽雪の芦庵年譜 {(イ)稽雪と私/(ロ)寛政文学交流の中心人物たる芦庵(高橋図南の旧亭に移るまで)/(ハ)図南亭に出入した人々(高橋図南、冷泉為村)/(ニ)真如堂の名木巨樹と新善光寺堂(芦庵七回忌は新善光寺堂で)}
十二 芦庵と秋成の対話、贈答(かひなき命を逃げかくる)
十三 芦庵の歌風と香川景樹(たゞこと歌説について)
十四 文人墨客卜居の地、岡崎の里 {(イ)歴史的風土の白川の里/(ロ)五升庵蝶夢のこと(真如堂山内去来寺)/(ハ)僧澄月、僧慈延}
十五 「胆大小心録」にある殺生石 {(イ)玉藻前と狐のこと/(ロ)秋成の狐に対する心情/(ハ)説経と浄瑠璃物語}
十六 春雨物語の「樊噲」について(心納むれば仏心、放てば妖魔)
十七 「樊噲」の最終段の那須野ガ原の場(釈迦、達磨も我もひとつ心にて)
十八 秋成の人間観と生仏不二の思想 {(イ)四明法智尊者たる知礼の念仏思想/(ロ)「生仏不二」の念仏思想とは(心を離れて仏なく浄土も悟の境地也}